駒形十吉紹介


駒形十吉 こまがた じゅうきち

1901年(明治34年)2月4日、新潟県長岡市袋町生まれ・旧制長岡中学(現長岡高校)卒

1928年(昭和3年)、創設支配人として北越産業無尽(現大光銀行)を再建にかかる。代表取締役社長として順調に業績を伸ばしていった。1946年(昭和21年)には、第四代長岡商工会議所会頭に就任、長岡経済界の重鎮として長岡市の発展に尽力し、和田閑吉氏、敦井栄吉氏とともに新潟県の経済界の草分け的な存在として越後の三吉と呼ばれた。

1941年(昭和16年)北越産業無尽(現大光銀行)社長に就任。1964年(昭和39年)、国内ではじめて「現代美術館」と銘打った長岡現代美術館を開設し、三十余年の歳月をかけて集めた日本近代洋画の作品群「大光コレクション」を公開。

1972年(昭和47年)にはNSTの代表取締役社長に就任し経営手腕を発揮していく。この頃駒形は現代美術の「ピークは過ぎた」との認識を持って、むしろ戦前から興味を持っていた日本画や工芸に向かう。1994年(平成6年)、村上華岳、速水御舟、加山又造、平山郁夫、加藤唐九郎の作品を中心とした「財団法人(現一般財団法人)駒形十吉記念美術館」を開設した。

他作家から

加山又造

駒形十吉さんと知己を得たのは、昭和31年、新制作春季日本画展の出品作が春季展賞を受賞し、その作品を面白い絵だと言って画商を介して買ってくださったのが始まりでした。以来ずっと私の仕事を見続けてくださった人生の師でもありました。
お目にかかれぱ、お話はいつも美術についての随想でありました。駒形さんの美についての感覚は、当代随一の大コレクターの風格のある素晴らしさで、その博覧強記の分厚さに満ちた、趣き深く、慈悲深いものでした。
特に私の作品に対するご指摘は誠に鋭く、温かく、一つ一つ心にひびくものでした。
反面私の若い話にも熱心に耳を傾け、何か不審の点は聞きなおし、見直して美を楽しみ、過ぎ行く時をゆったりと愛でておられる風でありました。
それは私にとってもしみじみ楽しい一刻でした。
俳句もお好きで多くの句集を作られ、又、気のむくまま淡彩、水墨山水もなさっておられたようでした。晩年には書も熱心になさっておられました。
頂いた「雪・月・花」の額は、松煙墨の淡墨で書かれ、戦後日本美術のコレクターとして、当時の現代美術館の動向に巨大な足跡を残された日本のミスターコマガタとして、世界の現代美術家たちに広く知られた大文化人の書として、むしろつつましやかに、実にすずやかな美しさがしみじみと感じられます。
そしてまた、人生での様々な夢を実現され、まさに希有とも思われる天寿を現役で全うされた駒形さんが次に描いた夢は何であったのか、問うてみたい衝動にかられます。

(新潟県立万代島美術館(編)『コレクター・駒形十吉の眼 併設 平山郁夫展』(c)「コレクター・駒形十吉の眼」展 ~併設平山郁夫展~実行委員会、2003年)

平山郁夫

駒形十吉氏と初めてお眼にかかったのは、昭和40年代の初め頃です。当時、駒形十吉氏は新潟財界の重鎮であり、すでに、著名な美術品のコレクターとしても知られていました。駒形十吉氏は私の父と同年輩で、私は30過ぎの若輩でした。
故横山操さんや、加山又造さんの作品を所有されていました。
村越画廊で行われた轟会展といった若手新進の会に、私もご好意で仲間に入れて戴いたのも一つのご縁でした。先輩の胸を借りて張切ったのは若き日の思い出であり、大変勉強になったと、今も感謝しております。
駒形氏は、村越画廊を通じ、その当時制作した作品をつぎつぎとコレクションに加えられ、ご支援をしてくださいました。
また、若い時より横山大観先生とのこ交友もあり、とても教養と芸術作品の鋭い鑑賞眼を持っておられ、会話の節々にその素養を感じました。
何時も側で気を使われておられた夫人にも感銘を受けておりました。駒形氏ご自身も書や絵を楽しんで描かれていました。生涯、現役で活躍されたエネルギーを、お会いする度に戴いておりました。
大変、ご支持を頂き、励まして頂いたことを感謝しております。
有難うございました。

(新潟県立万代島美術館(編)『コレクター・駒形十吉の眼 併設 平山郁夫展』(c)「コレクター・駒形十吉の眼」展 ~併設平山郁夫展~実行委員会、2003年)

駒形十吉 略年譜

1901年(明治34) 2月4日 父宇多七、母トキの三男として新潟県長岡市に生まれる。
1920年(大正9) 11月30日 官立新潟高等学校中退
1928年(昭和3) 12月1日 北越産業無尽株式会社創設支配人
1941年(昭和16) 10月1日 北越産業無尽株式会社代表取締役社長
1942年(昭和17) 3月1日 大光無尽株式会社代表取締役社長(株式会社国民無尽商会と合併し商号変更)
1942年(昭和17) 11月1日 株式会社新潟日報社監査役
1946年(昭和21) 10月1日 長岡商工会議所会頭
1951年(昭和26) 10月1日 株式会社大光相互銀行代表取締役社長(相互銀行法制定に伴い商号を変更)
1956年(昭和31) 5月1日 関東相互銀行協会会長
1956年(昭和31) 11月3日 黄綬褒章受賞
1957年(昭和32) 5月1日 全国相互銀行協会理事
1964年(昭和39) 12月3日 財団法人長岡現代美術館理事長
1970年(昭和45) 11月1日 株式会社大光相互銀行取締役会長
1971年(昭和46) 4月29日 勲三等瑞宝章受賞
1972年(昭和47) 5月30日 NST代表取締役社長
1972年(昭和47) 7月21日 社団法入日本民間放送連盟理事(以降通算3期就任)
1978年(昭和53) 8月1日 財団法人日本互尊社理事長
1979年(昭和54) 6月27日 株式会社大光相互銀行取締役会長退任
1981年(昭和56) 1月5日 財団法人NST福祉基金理事長
1987年(昭和62) 4月29日 勲三等旭日中綬章
1990年(平成2) 12月11日 財団法人(現一般財団法人)駒形十吉記念美術館理事長
1994年(平成6) 5月12日 財団法人(現一般財団法人)駒形十吉記念美術館開館館長
1997年(平成9) 4月1日 財団法人長岡社奨学会理事長
1998年(平成10) 9月25日 腸閉塞にて新潟南病院に緊急入院開腹手術
1999年(平成11) 2月7日 午後6時17分急性心不全にて死去
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